愛と真理の探求者 おけい

愛と真理の探究記録

いじめられる子 いじめる子

 

またしても「いじめ」を苦に子供が命を絶った。

きっと報道されていない「自殺」も沢山あるのだろう。

 

『いじめられる子』『いじめる子』について書いてみます。

 

まず僕の体験から、、

僕は過激な家庭で育ったためか、わんぱくな子供でした。

小4の時に引っ越しで転校しました。

生意気な転校生だった僕は、最初は数人の男の子に仲間外れにされた。(自分にも原因はあったのだろう)

あまり覚えてはいないけど、「帰れ」だとか言われていたと思う。

辛くなった僕は母親に「学校に行きたくない」と伝えると、困った顔をして「何言ってるのアンタは」と言われた覚えがある。理由も聞かれていない。。

担任の先生には「虐められるのは自分も悪い」と、聞き入れて貰えなかった。。。

家では親父に怯え、学校では虐めに遭う、、居場所がない。。

 

苦しい、、つらい、、寂しい、、悲しい、、

 

大人は話を聞いてくれない、、自力で何とかしなければ!!

「大人は助けてくれない!」「俺を嫌う奴は俺も嫌いだ!」

少年は生きるために立ち向かったのです!!、、間違った方法で、、

 

気に入らない奴はぶっ飛ばし、先生には椅子を投げつけ、大人の声には耳を塞いだ。

僕を虐める奴はいなくなった。晴れて虐めから解放され、強ければ自分の要求を聞いて貰えると錯覚した。

そして、「また虐められたらどうしよう」という怖れからこの環境を維持する為にも力を誇示しなければならないと思ったのだろう。

気に入らなければ殴る。言うことを聞かない奴は殴る。「俺が一番強いんだ」と示すために暴力を繰り返す。「いじめっ子」の出来上がりです。

 

今となればですが、、

この「いじめ」の体験から、どちらの気持ちもわかるつもりです。

あの時、、(人のせいにするわけじゃなく子供だったので、、)

母親が理由を聞いてくれていたら、、

先生が耳を傾けてくれていれば、、

人生は違っていたんじゃないかと思う。

、、僕は、、たまたま死なずに生きている。

生きて「いじめる側」になり、沢山の人に悲しい想いをさせてしまった。。(大人になり、同窓会などで「あの時はごめんね」と伝えられる人には伝えて回った。謝って済むことじゃないし、「今さら何言ってんだ」と思われただろう。)

後悔しています。本当に申し訳ありません。。

 

僕がここで言いたいのは、、

親や先生に限らず、僕たち大人が子供にしてあげられることは何か?

虐められている子供の声を聞きいて「虐めをやめろ!」と対処するだけじゃなく、なぜ虐められるのかを一緒に考えるとか?

虐めている子供にも、なぜ虐めてしまうのかを一緒に考えるとか?

家庭環境やその他の背景も見てあげる。理解してあげる。

そんな事が出来ないだろうか?と、常に考えています。

子供は心の声を聞いて欲しいんだと思います。

 

「いじめ」に遭う子は心に闇を抱えます。

「いじめ」をする子も心に闇を抱えています。

子供の心の声を聞いてあげられる。。そんな大人が増えることを切に願います。

そして命を絶ってしまう子どもが一人でも減ることを心より祈ります。

 

まだまだ書き足りないけど、今日はこの辺で、、