愛と真理の探求者 おけい

愛と真理の探究記録

子供の声

我が家は家族に関心が無い。今も昔も。

まぁ親父が狂っていたから仕方ない。

母親も兄弟も人に構っている余裕が無かった。

如何に親父の気に障らないように生活するか、一日を何事も無く平和に終わらせることが出来るか、みんな必死だったと思う。僕もそうだ。

以前、母親に「お父さんは子供たちに関心が無かった」と言われた。

僕は「いや、アンタもだろ」と皮肉を言おうとして飲み込んだ。

母親は関心を持つ余裕が無かったのだと思ったから。

僕は両親に褒めて貰った記憶もない。

お陰で自己受容や自己承認が未だに上手く出来ないでいる。。

 

親や身近な大人の子供への無関心は、後に様々な問題を起こす。

引きこもり、不登校、非行、自殺、、

「上手く表現が出来ない」「理解されたい」そんな人たちの『サイン』だ。

我を失いコントロールが出来なくなると、理不尽で凄惨な事件を引き起こしてしまうのだろう。

これらは子供の頃に心に深い闇を抱えたことが原因だと考えられる。

理由はさまざまだとは思うが、その原因の多くは、親や先生などの大人に『理解されない』と思っていることにある。

「虐めに遭っても助けを求めない」

「悩みなどの相談をしない」

それは『助けてくれない』と思っているから。。

幼少期の体験で学んでいるからだ。

泣いて訴えても聞いて貰えない。「うるさい」と叱られたり、罰を与えられたり。

子供は「無駄」と学習し、親に訴えることをやめるのでしょう。

そんな子供たちが何らかのことをきっかけに「引きこもり」「不登校といった表現しかしなくなっていくのであろう。(別の機会にもう少し書きます)

 

「非行」に関しては少し複雑になり、「訴える」をやめていない。

これは細かく説明しなければ意味がわからないとは思うが(これも詳しくは別の機会に書きます)、非行の初期は「訴えている」ことから始まる。エスカレートするにつれて当初の訴えなど忘れてしまう。

俗に『不良』と呼ばれる彼らは、「訴えても届かない」と思っている。が、どうしても表現したいので悪さをしたり、派手な見た目にしたり、あらゆる手段で大人の目を引こうとします。幼い子供と同じです。

でも理解してくれる大人はいません。理解者は「不良の先輩」です。

厳密に言うと似た境遇の人を「理解者だと錯覚」するんです。

不良の仲間や先輩に受け入れられ、「居場所」を見つけます。

そして自分の本質とは違う生き方をしてしまうんです。

本当の「気持ち」、本当の「感情」を自ら感じないようにしていきます。感じるだけ辛いからです。

「非行」に走った人たちは、最初は悪いことがしたいわけじゃないんです。

本人も気づいていない心の中で

「本当はこんなことがしたいんじゃない!」

「誰か止めて!」と訴えていることを知っておいて下さい。

彼らはただ理解して欲しいだけなんです。「居場所」を守るため、自分を守るために必死なだけだということを知っておいて下さい。

 

子供にもっと関心を持ってください。

親や大人は子供の話を聞いてください。

理解する努力をしてみてください。

 

まだまだ書き足りないけどこの辺で、、