こんにちは♬
自分の過去を振り返って曝け出すのがチョット楽しくなってきたオジサンですw
前回、
「私にとって地獄の始まり」と書きました。
イジメっ子をやっつけて、なぜ地獄なのか?
コレは大人になって自分と向き合って気づいたことですが、、、
人は心が望まないコトをやり続けると、
自分の心の声がわからなくなります。
怖い、悲しいなど、感情を表現しないと感情がわからなくなってしまいます。
あの時、私は
怖かったのに「怖い」と表現せず、
悲しかったのに「悲しい」と表現せず、
寂しかったのに「寂しい」と表現せず、
「舐められたらイジメられる」
「弱いと居場所が無くなる」
ただひたすら「居場所」を守ろうと必死でした。
ソレがどんどん「居場所」を無くしていっていることにも気付かずに。。
本当は、
毎日笑っていたかっただけです。
友達と楽しく遊んでいたかっただけです。
親にも先生にも褒めて貰いたかったです。
私は本当に望んでいるモノから遠ざかっていきました。
本当の私は「↑こんな私」を踏まえて読み進めて頂けたら幸いです♬
さてさて、
続きを書こうと思います(^ ^)
わたしゃ中学生になりました。
ボロ家の前で母ちゃんと一緒ですw
この時まだ母親より背が低かったんだな〜、、学帽まで被っちゃって可愛い♡
私の中学校は3つの小学校から集まってきます。
学年ごとに8〜9クラスほどあって、
1学年で300人超。
全校生徒で1000人位だと思います。
中学に入学した私はまず、
中学怖っ!!
だったのですが、、
、、アレは始業式だったかな??
卒業生の先輩方が遊び?に来ていました。
そして、なぜか3年生を殴っていた。。
え!?中学怖っ!!!
2年生の先輩にも怖い人達が沢山いたので、
様子を伺ってひっそりとしてましたw
案の定、他の小学校から来てるヤンキー原石の数名は先輩方の洗礼を受けており、、
は〜ぁぁあ、、中学怖っ!!!
って、なってましたww
(当時は当然怖いそぶりは見せてませんw)
担任は生活指導の体育の先生。
私は「不良になるであろう」と目をつけられていたのでしょうか?と、勝手に思ってます。
先輩は怖いし、知らない同級生も怖いし、、日々強がりながら様子を伺う学園生活w
仲が良かったのは小学校の時に友達になった近所のMっちゃん、オタク友1のSくん、オタク友のTくんかな。
そんな私は不良の友達を作るべく、存在をアピールするべく、各クラスに遊びに廻っておりました。
当時、目立ってヤンキーだったのは2人。
(女の子は数名いましたが、ここでは触れません。後で怒られると嫌なのでw)
別の小学校だったY.Tくん。(以後YT)
彼はいつも数名の仲間とつるんでた。(YTと愉快な仲間たち)
それと、
同じ小学校だった医者の息子Hくん。(以後IT)
何故か彼はヤンキーになっていました。
(私のせい?と、思ったこともありますが、真相はわかりません)
中学に入っても私と彼は時々喧嘩してました。
私は彼らと遊んだりしてましたが、親父が怖いってのもあり、中学では目立った不良になることはありませんでした。
それでも1年生の春にタバコを自販機で買って(当時は200円)吸い始め、夏には怖い先輩方にシンナーを教えて貰いましたw
中学は特にコレと言った事件も無いのですが、強いて言うなら2年生の時に2つ。
1つは全然学校に来なくなっていたヤンキーITの机にイタズラしたら死角からT字ほうきで頭を割られる事件。(完全に私が悪いw)
もう1つは、YTのグループに誘われて駅2つ向こうの学校のヤンキーに会いに行くけど会えず。(何しに行ったのかは謎w)
その後、何故か主謀者は私になっており、そのヤンキーに文句を言われる謎w
(たぶん全員ビビッて私に押し付けたのでしょうね。そんなもんですバカなガキの集まりはw)
2年生まで不良に憧れてましたが、特にヤンキーになることもなく一旦終わりを告げる。
たぶん2年の冬ごろ。
いたって普通ですw
当時を振り返って、
「ヤンキーが怖かったからか?」とも考えたけどたぶん違う。
(確かにヤンキーの先輩とか他の学校のヤンキーとか怖かったけどねw)
別に望んで無かったんでしょうね。
何となく、この時はまだ心地良い居場所があったのかもしれません。
学年ごとに友達も少しずつ変わってしまい、オタク友とも少し疎遠に。
3年生の頃はクラスメイトと音楽の話なんかしていたと思います。
流行りの曲?や
THE BLUE HEATSとかも聴いてたけど、
主に聴いていたのは
今思うと謎すぎるw
百歩譲って尾崎豊はいいとして、
中学生でハマショーって、、w
そして3年生の卒業前に
を友達に勧められて聴き始めます。
このジャケットカックイイ♡
RockとPunkに生きるキッカケはココからスタートしました♬
あ、そうそう!
我が家は親戚付き合いが無くお年玉もさっぱりでした。
(小学生の頃は正月の麻雀で親父に貰ったお年玉を親父に巻き上げられるw)
中学生の時は親からの小遣いが少な過ぎてバイトしてました。(たぶん2年の頃)
新聞配達!!
学校が終わってから夕刊のみだったけど、結構な広範囲だったから月5〜6万くらいあったかな??
今でも交流のある友人が手伝ってくれることもありました。本当に気のいい奴等です♡
バイト代はCD代とクラスメイトとのカラオケに消えましたw
楽しかったし良い経験が出来たと思っています。
あと、これ大事!!
新聞配達って数日〜1週間で引継ぎをして配る家を覚えるんですよね。
引継ぎをしてくれた前の担当者が、とっても優しくて良い人でした。
彼は当時は大学生だったと思います。よく缶コーヒーを奢ってくれたのを覚えています。
朧げにしか覚えていませんが、
時々思い出す彼の優しさは、今の私に影響を与えていると思っています。
高校受験は大失敗しましたw
通知表がオール1でも行ける公立高校があって(私はオール1ではないw)、YTと愉快な仲間達も行くし、いつ退学してもいいようにその公立高校で考えていました。
しかし!!
「そこだけは止めて!」
と母親に懇願され私立高校を勧められました。
何故か私立高校の普通科の推薦が取れたので推薦で私立高校に行くことになってしまう。。
止めときゃ良かったのに。。
流されてしまった私の大失敗です。。
詳細は次回w
ビビリの癖にイキってケンカしたり、イジメしたり、中途半端な中学時代。
嫌な想いをした同級生は沢山いると思います。
この頃に迷惑をかけた人達も本当に申し訳ありません。
(大人になってからですが、同窓会などで謝罪できる人には謝罪しました。まだ会って謝りたい人は沢山います)
恋ぐらいはしていましたが、ウブでシャイな童貞野郎は恋人とか出来ませんでしたw
あ、もう1つ思い出。
私は体育が得意でした。(水泳以外w)
走るのも跳ぶのも学年でも上位だったはず。
球技も部活とかやってない割に上手い方だったと思います。
でも、何故か長距離走が苦手でした。
少し走ると「ゼーゼー」「ヒューヒュー」呼吸が出来なくなるからです。
私は「そーゆーものだ」と思っていたし、
「体力が無いだけ」なんだと思っていました。
そんな私は中三の時に体調を崩して病院に行った時、病院で倒れました。
調べた結果、
「喘息です」
と告げられました。
私、喘息を患っていたんですねw
そりゃ長時間の運動なんて出来んわw
症状を誰にも言えなかった私も問題ですが、
誰にも気づいて貰えなかった悲しみ、、、
両親はヘビースモーカー、物心ついた時から家の中はタバコの煙で充満していました。
さらに自身もタバコを吸い始める始末。
まぁそりゃそーなるでしょw
喘息はその頃から一気に悪化していきました。
いろいろと小事はハショリましたが、
そんな私も無事に中学を卒業しましたとさ♬
また続きはのんびり書きます。
それじゃあまたね〜