はろーえぶりばでー。
私の過去のクズっぷりが上手く表現が出来てないなぁ、、文才も無いし、、
と、少し落ち込んだのは一瞬ですがw
前向きに楽しんで書いてます♡
どーも!!
「隻眼の堕天使」←(定着させようとしてるw)
おKさんです♡ ←(これもww)
生立ちから
前回
ではでは続きを失礼します。
今回は空手のお話し。
入門した空手道場は「極真空手」の枝の枝。
個人がやってる実戦空手の小さな道場。
今は知らないが、当時空手は大きく2つに分かれていて、型の美しさやポイント制の試合をする「伝統派空手」と、殴り合いで試合する「実戦空手」に分かれていた。
当時は「正道会館」のK-1GPが流行り出した頃で、グローブを着けてキックボクシングみたいな空手も増えていた。
空手はとても楽しかった。
いや、苦しかったw
超スパルタの道場だったw
小さな道場だったが、私は「筋が良い」と可愛がられた。
頑張ったことがない私の人生で、これほど打ち込んだものは無い。
空手は私の人生で最も夢中になった数年だった。
空手を始めたきっかけは、
十数人に囲まれた時にハッタリで切り抜けたこと。
その時に強く思ったのが
「最強になって全てをねじ伏せる力が欲しい」
とか
「喧嘩で10人倒せるくらい強くなりたい!」
とか、、かな??
なんて動機だww
黒髪短髪にして入門、根が真面目で運動神経が良かったので飲み込みも早かったと思う。
まともに部活動をやったことすら無い私が、自主的にジム(道場に併設)に通ったり、走り込みをしたり、今思えば夢中で強くなろうとしていた。
始めた動機は不純だったが、途中から「選手になる」とか「道場を開く」なんて未来も描いていた。
最終成績は代々木体育館で行われた小さな大会で、新人戦に出場して優勝。
本当に小さな大会だったし、あまり人に話していない。
ある程度強くなったころ、極真空手の道場に出稽古に行かせて貰っていた。
出稽古先で同じ歳ごろのTくんに出会う。
Tくんは空手を始めたのも同じ時期で、
「コイツには負けたくない!」と思っていた。
が、、
Tくんは高校の3年間をレスリングに打ち込んでいた強者、、かたや悪ぶって努力なんて何もしてこなかった私。。
スパーリングをする度に凹んだ。
基礎体力も違えば体重も20kgは差があった。
勝てる気がしなかった。。
まぁこれは言い訳でしかないんだけどね。
後々、空手に行かなくなった理由は彼のせいにしていた。
私は喘息を抱えて空手を始め、空手のお陰(有酸素運動と十分な食事)で喘息は治まっていた。
が、やはり人よりも呼吸器が弱いのは感じていた。
有酸素運動が本当に苦しい。今でも。
結局、私がぶち当たった壁は自分の体であり肺の弱さだ。その壁を強固にしたのは私。
(例えるなら 漫画「日の丸相撲」の「辻桐仁 ツジキリヒト」がとても共感する)
そして過去にタバコやシンナー、ドラッグで揺るぎない弱点へと自ら導いた。
今でも少し走ると呼吸が出来なくなる。
私は自分で言うのも何だが、呼吸器の弱点を除けばアスリートとしての才能があったと思っている。
小、中学の頃は陸上部より足は早かったし、高く跳んでいた。球技も習ってないなりに人並み以上に上手くやれた。
私が体が弱いのは仕方ない。
そんな環境で生まれて、そんな環境で育ったのだから。。
そして後悔している。
悲しいし悔しい。
もし私が道を外さずにスポーツに打ち込んでいたら?
道を外したとしても、タバコやシンナー、ドラッグに手を出さなかったら?
自分の体を気遣って最善を尽くしていたら?
こんなこと言っても何の意味もないのだけれどね、、
後悔は今の自分を奮い立たせる力になる。
空手に打ち込んでいた頃はスポーツジムでトレーナーやったりしてたけど、まったく金にならんので、知り合いが働くスーパーでバイトを始める。
いろいろと完全ブラックなスーパーだったけど、これは書かないことにしますw
「仕事が忙しい」を言い訳にして空手に行く頻度も減っていきました。
そして少しずつ酒に溺れて空手にはほとんど行かなくなるのでした。
私は若かりし頃、自らの可能性を潰してきました。
そしてそれは、酒に溺れた青年期も続いていきます。
私は自分にも人にも全てに無責任に生きていました。
子ども達、若者達に同じ想いをして欲しくない。
自らの「可能性」を潰してしまわないで欲しいです。
そんなことを訴えて生きていこうとしています。
空手はその後も少し続けました。
正道会館の基礎も少し習いました。
やはり武道は良いですよー!!
私の心の奥の歪んだ物の一部は、空手が正してくれたかもしれません。
今後、空手も少し自分発信していけたらと思います。
最後に、
今は亡き我が師匠に感謝します。
本当に有難う御座いました。