【知彼知己 百戰不殆】
『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という言葉を見聞きしたことはないでしょうか。
これは、古代中国の兵法家「孫子」の言葉といわれています。
意味は、「相手(敵)を知り、自分(味方)を理解していれば、100回戦ったって敗けることはないであろう。」といった感じで訳されることが多いのではないでしょうかね。(真意は本人に聞いていないのでわかりませんw)
この言葉は兵法家の言葉なので「戦い」のことを言っているのでしょうが、現代社会では「ビジネスでも同じことが言えるよね」と言われています。商談相手を知ることで相手の欲しいものを提供できます。自社の強みを知ることでより良いサービスを提案することもできます。ライバル企業を知ることで他にない自社の強みが見えてきたりするものです。
【人間関係】
私はこの教訓が人間関係にも同じことが言えると思っています。他者のことをよく知り、自分のことを深く理解できていれば、関係は良好になりやすいのではないでしょうか。
わたくし「生き直し」を始める前はよくやっていたのですが、「他者に自分のことをわかってもらえない」と思っておりました。私は他人に理解されないと思い、「寂しい」「悲しい」を感じて、さらに殻に閉じこもり、他者を遠ざけて「孤独」を演じておりました。今思えば滑稽な話なんですけどね。そもそも理解してもらおうと努力していない。そして、なにより自分のことを理解して欲しいくせに相手を理解しようとしていない。「理解されない」と思って生きている人の多くは、理解する努力も理解される努力もやっていない。やっているとしたら、私のように自作自演のパターンか、「理解してくれよ」と押し付けているだけかもしれませんね。
野田俊作さん( 日本におけるアドラー心理学の第一人者)の子育ての本に書いてあったことなんですが、『 基本的安全感(人々は仲間)と基本的信頼感(自分を信頼)が、人間が正気を保てる二つの要素』だそうです。このどちらか一方、もしくは両方を感じていないと精神科に通うような大人になってしまうよ、とのことです。「人々は敵だ」と基本的安全感を感じられず、「私はダメなんだ」と基本的信頼感を感じられないでいると、心が壊れてしまうんですね。
と、話が逸れてしまいそうなので軌道修正します。人間関係を良好にする話です。
他者を理解しようとするには、この「基本的安全感」がとっても重要なんだと思うわけです。人々は仲間なんだと感じられるから、他者を理解しようと思えるんだと。
【人々は仲間である】
かつて私も「私は理解されない」と孤独な男を演じて生きていたわけなんですが、私は人々を「敵と味方」に区別していました。結構やってる人が多いみたいなんですよね、これ。「いやいや、私はやってないよ」と仰る人もまぁまぁな確率で無意識にやっちゃってます。味方を作ろうとすると、必然的に敵が存在することになりますからね。でね、私は意識的に「敵と味方」という言葉を使わないようにしたんです。基本的に人々は善意で生きている仲間なんだと思うようにしたんです。そうしたら敵も味方も無くなって、人々は仲間なんだと感じられるようになったんです。実際には悪意のある人もいるんでしょうけど、悪意だけに満ち満ちている人なんてあまり存在しない。悪意のある側面を多く持っている人でも、大切な人には善意で接しているはずなんです。だからまず私から仲間だと思って接すればいいんだと思えるようにまでなりました。(これはまだ修行中)
目の前で起きている現実は私が創り出しているんだ。『全ての源は私なんだ』という床に立って「他者と良好な関係を築くんだ」と関わっていけば、人々を理解しようという気持ちになるし、人々に理解されようと努力するわけです。
【他者と繋がる】
他者を深く理解するためには、他者と関わるしかありません。他者に自分を理解してもらうには、これまた他者と関わるしかありません。他者と関わるには勇気が要りますね。否定されるかもしれないし拒絶されるかもしれないから勇気が要る。傷つくのが怖いから他者と関わることを避けてしまう。しかし人間は社会的な生き物だから人々と関わって生きるしかないんです。真の幸福は人々との繋がりの中にしかないのだから。どれだけビジネスで成功しても、お金をたくさん稼いで幸福なつもりでも、他者との繋がりを感じられていない人は真の幸福を知らないか、かつて感じた幸福感を忘れてしまっているのかもしれません。
【勇気のある人】
先に 『 基本的安全感(人々は仲間)と基本的信頼感(自分を信頼)が、人間が正気を保てる二つの要素』と述べました。子どもの時からこの二つが自分の中に育まれていれば、勇気のある健全な大人に成長するのではないでしょうか。どちらか一方でもこの感覚が育たずに大人になってしまうと、容易に勇気がくじかれてしまいそうです。
因みに、これまた野田俊作さんの「アドラー心理学と子育て」からの引用なのですが、
・勇気のある人
したくてもしてはいけないことをしない。
したくなくてもすべきことをする。
人々と繋がることは、「したくなくてもすべきこと」です。幸福に生きたいのなら、傷ついて勇気がくじかれてしまっても他者と関わって生きるしかないのです。
では、基本的安全感や基本的信頼感が持てていない大人、勇気をくじかれてしまった大人はどうすればいいのか?それは、とにかく他者が喜ぶこと(役に立つこと)を考えて、ちょっとでもその考えを行動に移していくことです。家族でも友達でもいいし、職場の同僚や隣人でもいい、なんなら道行く全くの赤の他人でもいいんです。「私は仲間ですよ」と行動する。誰かが喜んでくれたり誰かの役に立つことが自信になる。「人々は仲間なんだ」と思えるし「私は大丈夫だ」と思えるわけです。人々に貢献することが自分への勇気づけになるんです。
【彼を知る】
何度も書いておりますが、社会的生き物である人間は、他者と関わり繋がりを感じなければ真の幸福感を得ることはできません。
勇気をくじかれてしまい、「わかってもらえない」と人々と関わることを避けていては幸福から遠のいていきますね。だって、ずっと「わかってもらえない」からね。良好な人間関係は他者を知ることから始まると言っても過言ではないのではないでしょうか。目の前の人を理解する。何ならその人の生い立ちから今の感情まで知り共感することが出来たら、相手も私を理解しようとしてくれる。「私が源」となり相手に興味を持つことで、相手も私に興味を示してくるのではないでしょうか。
【己を知る】
基本的安全感(人々は仲間)が健全に持てていない人は他者からのフィードバックを批判や攻撃と捉えてしまいがちです。
基本的安全感がある人は、他者からのフィードバックを素直に受けとめやすいと思います。仲間からのアドバイスとして「なるほど、私は他人からそのように見えているんだな」と自分の成長のために受けとめられる。この「フィードバックを聞く」ことが、己を知ることになるんですよね。
自分が他者からどのように見えているか、私はどんな人間なのかがわかれば、不適切なところを修正したり他者との接し方を見直したりできます。
【彼を知り己を知れば百戦殆うからず】
全ての人と良好な関係を築くことは難しいし、その必要はないとはおもいます。「あ、この人とはちょっと馬が合わないな」と思えば近づく必要はない。ただ、やっぱり家族や友人との関係は良好な方がいい。仲間や近しい人たちのことを理解し、自分のことを知り相手にも知ってもらうことで関係は深くなる。もちろんお互いに理解し合ったうえで、家族だろうと友人だろうと合わなければ適度な距離まで離れればいいと思います。お互いの性格が合わなくても「私たちってこれくらいの距離感がちょうどいいねっ」って話し合えたら、それはそれで良好な関係なのかもしれませんね。
【終わりに】
過去に私がひょんなことから受講したセミナーは心理学を取り入れているのですが、私はお手伝いを時々やっておりまして、受講している方々と関わることで私自身がとても学びになっております。受講生は自分が他者や社会とどのように関わっているのか、自らの課題に気づき修正していくことで人生に違いを作り出していきます。自分の特徴や傾向を知り、家族や友人、同僚などとどのように関わると、より幸福であり生きやすいのかを見出していきます。有り難いことで、そんな方々を援助しながら私も成長させて頂いております。感謝。
私のブログをもし最後まで読んで頂き役立ててくれる方がいらっしゃるなら、私は幸せで御座います。有難う御座いました。
前の記事はこちら↓
次の記事↓
前述したとても役に立つセミナーはコチラ↓
「生き直したい」「人生を変えたい」など、私へのご相談がございましたらコチラ↓