愛の探求日記

愛と真理の探究記録

青春時代① 16歳 高校〜オーストラリア

こんにちは~♬

 

過去を振り返り、その時に感じてあげられなかった自分の気持ちを感じてあげるコトって、やっぱり大切だなぁ〜と改めて感じています(^ ^)

 

そーいえば全然書いてないけど、

私は女の子に全然モテなかったわけじゃないですよ〜w

中学の頃は恋くらいはしていました。

今思えば何であの子を好きだったのかは謎なのですが、、w

「付き合うってどーゆーこと?」って感じのお子様だったのでよくわからなかったアハハ〜w

 

その後、3年の時にクラスの隣の席にKちゃんて女の子がいたのですが、YTグループの1人に片想いしていて、恋愛相談を受けてましたw

卒業してからなぜか少し付き合いました。

が、すぐに別れてしまった。

ブルーハーツが好きな、とっても純粋で素敵な女の子でした。

 

 生立ち① 幼少期〜少年期

 生立ち② 転校〜小学校卒業 

生立ち③ 中学生

 

さてさて、

私は無事に義務教育も終わり、

高校生になりました。

入学した学校は私立の男子校で、商業科、普通科、特進?ってのに分かれてました。

私が推薦で入ったのは普通科です。

自宅からは自転車で20〜30分位だったかな?

同じ中学校からは特に仲の良い友達も来ていなくて、話す相手も居ないまま、入学式、始業式を無事に済ませました。

同級生には何やらイキがってる奴、休憩時間にバタフライナイフで遊んでいる奴がいて、

「アホばっかだな」なんて言ってました。

3日目で「明日は頭髪検査があります」と言われ翌日から1週間学校に行きませんでした。

私は髪が長めで、オールバックで登校していて、切りたくなかったのです。

同じころ、他の高校(行きたかった高校)に入学したYTから、

「始業式の帰りにタバコ吸ってたら停学になった。もぅ辞めたい。」と電話があり、YTと少し夜遊びをしていました。

(親父が怖いから少しね)

 

1週間後、「もう大丈夫だろ?」と登校した時に頭髪検査を受け、「切ってこい」と言われたので、翌日から行かなくなりました。

またまた大人になって振り返って気づいたコトなんですが、この時、頭髪検査と「アホしかいない」を言い訳にしていますが、ただただ怖くて悲しかったんだと思います。

 

「また居場所を作らなきゃ」

「弱いと居場所がなくなる」

「舐められると居場所がなくなる」

「また暴れなければ」

「また人を傷つけなければ」

「怖い、、悲しい、、」

 

こんな感じだったんだと思います。

 

入学早々、学校に行かないなんて親が許すわけもなく、半家出状態になりました。

中学のオタ友の家とそのオタ兄友人の家に夜中や朝方まで居座って、家には寝に帰る日々を1ヶ月近く続けます。

その間に制服を捨てたり、公園で教科書を燃やしたり、退学する為の準備を進めます。

ある日、親に「学校を辞める」と伝えると家族会議的なことになりました。

あーだこーだ親に説得され、挙句には兄貴に殴られます。(後で聞いたら兄は高校の時に大学の入学資金をバイトで貯めていたらしく、怒る気持ちはわかりました。)

その後、退学の旨を学校に伝えに行った時は担任に熱く説得されますが、聞く耳を持ちませんでした。

結局、大人は高校を辞めたい奴の気持ちなんて理解しようとしない。わからない。

誰も私の気持ちなんて理解していない。

高校は自主退学しました。(登校4日w)

 

高校を辞めてからは、、

あまり覚えていませんが、

フラフラしていたんだと思います。

昼まで寝て、学校が終わる夕方に出て行って、中学の同級生(YTと愉快な仲間たち)と夜中まで遊んで、朝方まで起きていて寝る。

たぶん、そんな生活。

 

そんな私が一番好きだった時間。

夜な夜な、コンビニで段ボールを貰ってきて、川の堤防に敷いて、タバコと缶コーヒーを片手に同級生数人と星を見上げながら好きな音楽の話や夢や妄想を語り合う。

何よりも楽しい時間だったと思います。

 

この頃、家では両親が別居する話になっていました。(やっとかよw)

過去に何度も家族で話してきているのですが、(どーゆー経緯だったか覚えていませんがw)本格的に別居に向けて動き始めます。

 

6月、16歳になった私に母親から提案がありました。

これはあまり人に話していませんが、、

オーストラリアへの留学です。

 

親父の妹(叔母)がオーストラリア人男性(叔父ブレア)と結婚していて、アデレード近郊に住んでいました。

母親の提案は、

アデレードでホームステイしながら、イングリッシュカレッジで英語を勉強、

まぁ社会勉強ですね。

 

私はなぜか行くことにしました。

、、なぜ??

まったく覚えていませんw

おそらく

「そんな俺はカッコイイ!」

「家族から解放される!」

って理由も少なからずあったかもしれませんw

そして、、なぜか怖くなかった。

、、なぜ??

 

そんなこんなで渡豪します。

確かニュージーランドを経由してシドニー(メルボルンだったかな?)に到着。

7月の南オーストラリアは雪が降っておりました。オーストラリアは暑いイメージだったのでビックリでしたw

 

【イングリッシュカレッジ】

English College of Adelaide (ECA)

昼間は英語学校で、色々な国の人たちが英語を勉強しにきていました。

アデレード兵庫県姫路市姉妹都市で、日本人が多かったです。

夕方からはオーストラリア人向けの日本語学校でした。

検索したら今でも在るみたい♡

↓こちらです♬

https://www.wavenetwork.com.au/ryugaku/cost.html

 

アデレードに着いて、ECA入学手続きをしている時に驚愕の真実に気づきます。

英語がまったく話せないw

単語すらわからないw

 ECA職員もビックリww

中学の成績はなぜか2(5段階評価)でしたが、「え、1でしょ?もう1でいいじゃん!!」ってレベルです♬

なぜこの力量で渡豪したのかも謎ですw

クラスは英語のレベルによって4つのクラスに分けられていたのですが、当然初級クラスでしたよwアハハー(*≧艸≦)

初級クラスは一番人数が少なかったと思います。

私を含めて日本人男性3人とイタリア人のお姉さまカティア(美人だったと思う)と香港人男性のパト。

パトは私のすぐ後に入ってきた同世代。

たぶん問題児だったんだと思います。気さくないい奴でした。軟派野郎だったけどw

香港が中国に返還される直前だったので、少し裕福な家庭なんだろう、その後も5、6人の香港人が入ってきた。

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香港グループ。

右端がパト。

面白い奴らだったと思うw

 

【ホームステイ】

ホームステイ先は白人の初老夫婦&2人のアジア系養女(小学校低学年くらい?)の家でした。

とても温かい、良い人たちだったのですが、、

ここで問題が起きます。。

私は「温かい家庭」を知りません。

可愛い子供たちも、接し方がわかりません。

コレがかなり苦痛だったんです。

そして最低の選択をします。

「食事が合わない」とか何とか言って、ホームステイ先を変えて貰ったんです。本当に最低。

いつかアデレードを訪れたら謝りに行こうと思っているのですが、、実現はされてません。

 

新しいホームステイ先は、スチュワーデス(今で言うCA)の女性の家でした。

彼女は自宅にあまり帰って来ず、彼氏との結婚資金を貯める為にホスト(ホームステイ先)をやっていると言っていました。

一人暮らしみたいなホームステイですw

とても楽しかった(^ ^)

 

【叔父と叔母】

週末はよく叔母の家に行っていました。

アデレード近郊」と言っても、バスで2時間以上かかっていたと思います。

叔母の家は東京ドーム(甲子園だったかな?)5個分の庭に、小さなレンガ造りの平屋建てに夫婦2人と猫2匹で住んでいました。

(猫の名前、1匹は忘れましたが、1匹はエイリアンって名前でしたw)

庭には小川が流れていて、鳴き声が特徴的なクッカバラ(笑い鳥)が鳴いていたw

https://youtu.be/6t4r_uprXuU

 

叔父ブレアは大きなワイナリーで働いていて、テイスティングの仕事してました。

個人でもワイナリーを持っていて、世界100本に選ばれたこともある凄腕。

よく海外のワイナリーからヘッドハンティングされていたみたい。カックイイ♬

叔母は通訳や翻訳の仕事をしていました。

叔父さんは「働かざる者、食うべからず」と、滞在中は色々な作業をしていました。

洗車、芝刈り、薪割り、etc、、

とても良い経験になりました(^ ^)

激ウマのワインは飲み放題でした♡

叔父さん叔母さん宅↓

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芝刈り機と私w


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庭と芝刈り機と私w

向こう側に小川が流れている。

 

 

カレッジに通っている期間、私は特に誰と仲良くなることもなく、

ウォークマンと辞書が友達でした。

自分のコトを伝えられないのが悔しくて、毎日辞書を引いていました。

 

せっかくオーストラリアに行ったのに観光もしなかった。

まぁ16歳が1人で海外を観光なんてちょっと怖いよね。

一度だけカレッジの仲間と川か何処かに遊びに行った気がするけど、、あまり覚えていませんw

 

カレッジには4ヶ月くらい通って、クラスが1つ上がってから修了しました。

1人で観光とかできる程度には話せるようになっていたと思います。

(25年経った今、、全く話せませんw)

延長して留まるかも考えましたが、日本が恋しくてやめました。

 

カレッジに居た様々な国の人たち、、

今更ですがとても会いたいです。スタッフも。日本人も。。本当に今更です。。

友達の作り方がわからなかったんですよね。

人と繋がるってわからなかった。

叔父さんや叔母さんとも。。

人との繋がりについては大人になっても続きます。悩みます。

 

今となっては全てが今の私を作るための必然だったのだと思えます。

が、もっと違った人生もあったのだろうとも思えます。

なかなか悲しいですw

 

ECAが終わってからも叔父さん宅で少しお世話になってから、日本に帰りました。

日本に帰ると色々と環境に変化がありました。

こっからが本当の苦行の始まりですw

 

長くなってしまいましたが、

私にとってはとても貴重な数ヶ月でした。

 

当時はなんとも思っていなかったのですが、、

今となっては親父には伝えられないけど、

本当に親には感謝しなきゃですね!!

 

 

ではまた〜w

 

生立ち③ 中学生

こんにちは♬

自分の過去を振り返って曝け出すのがチョット楽しくなってきたオジサンですw

 

前回、

「私にとって地獄の始まり」と書きました。

イジメっ子をやっつけて、なぜ地獄なのか?

 

コレは大人になって自分と向き合って気づいたことですが、、、

 

人は心が望まないコトをやり続けると、

自分の心の声がわからなくなります。

怖い、悲しいなど、感情を表現しないと感情がわからなくなってしまいます。

 

あの時、私は

怖かったのに「怖い」と表現せず、

悲しかったのに「悲しい」と表現せず、

寂しかったのに「寂しい」と表現せず、

「舐められたらイジメられる」

「弱いと居場所が無くなる」

ただひたすら「居場所」を守ろうと必死でした。

ソレがどんどん「居場所」を無くしていっていることにも気付かずに。。

 

本当は、

毎日笑っていたかっただけです。

友達と楽しく遊んでいたかっただけです。

親にも先生にも褒めて貰いたかったです。

私は本当に望んでいるモノから遠ざかっていきました。

本当の私は「↑こんな私」を踏まえて読み進めて頂けたら幸いです♬

 

生立ち① 幼少期〜少年期

生立ち② 転校〜小学校卒業

 

さてさて、

続きを書こうと思います(^ ^)

わたしゃ中学生になりました

 

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ボロ家の前で母ちゃんと一緒ですw

この時まだ母親より背が低かったんだな〜、、学帽まで被っちゃって可愛い♡

 

私の中学校は3つの小学校から集まってきます。

学力は名古屋市五本の指に入るほどだったそうな。

学年ごとに8〜9クラスほどあって、

1学年で300人超。

全校生徒で1000人位だと思います。

 

中学に入学した私はまず、

中学怖っ!!

だったのですが、、

、、アレは始業式だったかな??

卒業生の先輩方が遊び?に来ていました。

そして、なぜか3年生を殴っていた。。

え!?中学怖っ!!!

2年生の先輩にも怖い人達が沢山いたので、

様子を伺ってひっそりとしてましたw

案の定、他の小学校から来てるヤンキー原石の数名は先輩方の洗礼を受けており、、

は〜ぁぁあ、、中学怖っ!!!

って、なってましたww

(当時は当然怖いそぶりは見せてませんw)

 

担任は生活指導の体育の先生。

私は「不良になるであろう」と目をつけられていたのでしょうか?と、勝手に思ってます。

先輩は怖いし、知らない同級生も怖いし、、日々強がりながら様子を伺う学園生活w

仲が良かったのは小学校の時に友達になった近所のMっちゃん、オタク友1のSくん、オタク友のTくんかな。

そんな私は不良の友達を作るべく、存在をアピールするべく、各クラスに遊びに廻っておりました。

 

当時、目立ってヤンキーだったのは2人。

(女の子は数名いましたが、ここでは触れません。後で怒られると嫌なのでw)

別の小学校だったY.Tくん。(以後YT)

彼はいつも数名の仲間とつるんでた。(YTと愉快な仲間たち)

それと、

同じ小学校だった医者の息子Hくん。(以後IT)

何故か彼はヤンキーになっていました。

(私のせい?と、思ったこともありますが、真相はわかりません)

中学に入っても私と彼は時々喧嘩してました。

 

私は彼らと遊んだりしてましたが、親父が怖いってのもあり、中学では目立った不良になることはありませんでした。

それでも1年生の春にタバコを自販機で買って(当時は200円)吸い始め、夏には怖い先輩方にシンナーを教えて貰いましたw

 

中学は特にコレと言った事件も無いのですが、強いて言うなら2年生の時に2つ。

1つは全然学校に来なくなっていたヤンキーITの机にイタズラしたら死角からT字ほうきで頭を割られる事件。(完全に私が悪いw)

もう1つは、YTのグループに誘われて駅2つ向こうの学校のヤンキーに会いに行くけど会えず。(何しに行ったのかは謎w)

その後、何故か主謀者は私になっており、そのヤンキーに文句を言われる謎w

(たぶん全員ビビッて私に押し付けたのでしょうね。そんなもんですバカなガキの集まりはw)

 

2年生まで不良に憧れてましたが、特にヤンキーになることもなく一旦終わりを告げる。

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たぶん2年の冬ごろ。

いたって普通ですw

 

当時を振り返って、

「ヤンキーが怖かったからか?」とも考えたけどたぶん違う。

(確かにヤンキーの先輩とか他の学校のヤンキーとか怖かったけどねw)

別に望んで無かったんでしょうね。

何となく、この時はまだ心地良い居場所があったのかもしれません。

 

学年ごとに友達も少しずつ変わってしまい、オタク友とも少し疎遠に。

3年生の頃はクラスメイトと音楽の話なんかしていたと思います。

流行りの曲?や

THE BLUE HEATSとかも聴いてたけど、

主に聴いていたのは

尾崎豊

浜田省吾

今思うと謎すぎるw

百歩譲って尾崎豊はいいとして、

中学生でハマショーって、、w

そして3年生の卒業前に

THE BLANKEY JET CITY

を友達に勧められて聴き始めます。

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このジャケットカックイイ♡

RockとPunkに生きるキッカケはココからスタートしました♬

 

あ、そうそう!

我が家は親戚付き合いが無くお年玉もさっぱりでした。

(小学生の頃は正月の麻雀で親父に貰ったお年玉を親父に巻き上げられるw)

中学生の時は親からの小遣いが少な過ぎてバイトしてました。(たぶん2年の頃)

新聞配達!!

学校が終わってから夕刊のみだったけど、結構な広範囲だったから月5〜6万くらいあったかな??

今でも交流のある友人が手伝ってくれることもありました。本当に気のいい奴等です♡

バイト代はCD代とクラスメイトとのカラオケに消えましたw

楽しかったし良い経験が出来たと思っています。

あと、これ大事!!

新聞配達って数日〜1週間で引継ぎをして配る家を覚えるんですよね。

引継ぎをしてくれた前の担当者が、とっても優しくて良い人でした。

彼は当時は大学生だったと思います。よく缶コーヒーを奢ってくれたのを覚えています。

朧げにしか覚えていませんが、

時々思い出す彼の優しさは、今の私に影響を与えていると思っています。

 

高校受験は大失敗しましたw

通知表がオール1でも行ける公立高校があって(私はオール1ではないw)、YTと愉快な仲間達も行くし、いつ退学してもいいようにその公立高校で考えていました。

しかし!!

「そこだけは止めて!」

と母親に懇願され私立高校を勧められました。

何故か私立高校の普通科の推薦が取れたので推薦で私立高校に行くことになってしまう。。

止めときゃ良かったのに。。

流されてしまった私の大失敗です。。

詳細は次回w

 

ビビリの癖にイキってケンカしたり、イジメしたり、中途半端な中学時代。

嫌な想いをした同級生は沢山いると思います。

この頃に迷惑をかけた人達も本当に申し訳ありません。

(大人になってからですが、同窓会などで謝罪できる人には謝罪しました。まだ会って謝りたい人は沢山います)

恋ぐらいはしていましたが、ウブでシャイな童貞野郎は恋人とか出来ませんでしたw

 

あ、もう1つ思い出。

私は体育が得意でした。(水泳以外w)

走るのも跳ぶのも学年でも上位だったはず。

球技も部活とかやってない割に上手い方だったと思います。

でも、何故か長距離走が苦手でした。

少し走ると「ゼーゼー」「ヒューヒュー」呼吸が出来なくなるからです。

私は「そーゆーものだ」と思っていたし、

「体力が無いだけ」なんだと思っていました。

そんな私は中三の時に体調を崩して病院に行った時、病院で倒れました。

調べた結果、

「喘息です」

と告げられました。

私、喘息を患っていたんですねw

そりゃ長時間の運動なんて出来んわw

症状を誰にも言えなかった私も問題ですが、

誰にも気づいて貰えなかった悲しみ、、、

両親はヘビースモーカー、物心ついた時から家の中はタバコの煙で充満していました。

さらに自身もタバコを吸い始める始末。

まぁそりゃそーなるでしょw

喘息はその頃から一気に悪化していきました。

 

いろいろと小事はハショリましたが、

そんな私も無事に中学を卒業しましたとさ♬

 

また続きはのんびり書きます。

 

それじゃあまたね〜

 

 

 

 

 

生立ち② 転校〜小学校卒業

前回は小学校4年生までを簡単に書きました。

今、思い返しても悲しくなります。

私は不幸だとは思っていません。

(ある時期までは不幸だと思っていたし、恨んでましたw)

もっと辛い環境だった人も知っています。

養護施設で育った人も知っています。

 

もし良かったら♬

生立ち① 幼少期〜少年期 - 愛の探求日記

 

 

さて、続きを書きます(^ ^)

 

 

4年生になった夏、また引越しをします。

隣の区のまたまたボロい一軒屋です。

裏と向かいに山があって木が生い茂っていました。

ゴキブリやらムカデやらよくわからん虫まで、異様に虫の出る家で、、

私はここで虫恐怖症になったと思われます。

今でも怖いです(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 

転校した小学校は丘の上にある小綺麗な学校で、

生徒数は800〜900人位は居たと思います。

学区は、一部高級住宅地だったからか、

育ちの良い上品な生徒が多かったように思います。

担任の先生は女性でした。

 

転校して間もなく、

一部の生徒から意地悪をされるようになります。

「お前必要なし!」

「か〜え〜れ〜!」

など仲間はずれが始まります。

(原因は私にあったのだと思います。

常識の無いワガママな子供だったので受け入れて貰えなかったのでしょう。)

学童に通っていた2人が中心になって仲間はずれにする「イジメ」が日常化しました。

 

私は母親に「学校に行きたくない」と伝えたのですが、

返ってきたのは「何言ってるのアンタは!学校は行きなさい!」そんな言葉でした。

 

担任の先生にも相談しました。

何と伝えたかは覚えていません。

「仲間はずれにされる」とか「イジメられてる」でしょうか、、

返ってきた言葉は

「自分が悪いんじゃないのか?」

そんな言葉だったと思います。

 

家に帰ったら親父の顔色を伺いながらビクビク生活して、

学校に行ったらイジメられ、大人は助けてもくれない。

私の居場所はどこに、、?

安心できる居場所がない、、、

 

私はイジメに立ち向かう選択をしました。

何故、どんな気持ちでソコに至ったかはわかりませんw

イジメてくる奴らを殴って、

「俺の方が強い!」

「俺に攻撃する奴はこーなるぞ!」

と、周りにアピールしたことによりイジメは無くなりました〜!

わ〜♬

おめでとう〜(祝)

パチパチパチパチ〜♡

 

その後は友達も出来て、物語ならめでたくハッピーエンドなはずなんですが、、、

 

 

ここからが私にとって

地獄の始まりなんです。

 

またイジメられるのが怖い、、

作った居場所を守らなければ、、

強くないと攻撃される、、

怖れられなければ攻撃される、、

もうあんな気持ちを味わいたくない、、

強くならなきゃ、、

怖がられなきゃ、、

誰も頼れない、、

弱みを見せてはいけない、、

 

(コレは大人になって、子供時代の自分の気持ちを探って出てきたものです。)

 

私の人生が望まない方向に進み始めました。

私は臆病で小心者です

本来は弱っちぃんです。

この時、

大人が耳を傾けてくれたら、、

誰かが手を差し伸べてくれたら、、

と、今でも思います。

 

言葉使いは乱暴になり、

学校では暴力三昧、、

「アイツは不良だ」と陰口を言われ、

「あぁそーだよ!」と悪事を働きました。

(教科書はビーバップハイスクールw)

 

何もしてない子たちにも手を上げてました。

私は「いじめっ子」になってしまいました

(嫌な思いをした人たちには心からお詫びを伝えたいです。本当に申し訳ありませんでした。)

 

あの担任には暴言を吐き、

教卓に椅子を投げつけ、

挙句、担任からは目の敵にされ、

担任からの理不尽なイジメも受けました、

事あるごとに母親は呼び出され、

母は泣きながら校長室から出てきていました。

 

本当は怖いのに、強くもないのに、

気に入らない奴はブン殴り、強がってガキ大将を気取ってました。

他に方法がわからなかったんです。

大人は誰も何も教えてくれなかった。

 

5年生になってクラスと担任が変わりました。

担任の先生はとても良い先生でした。

私が暴れると飛んできて、私を羽交締めにしましたww

よく叱られましたが、

本当にあの先生で良かったと思っています。

 

しかし、

私の暴走は止まらず、

教師にも逆らい、

上級生にも逆らい、

家では可愛い弟にも暴力を振るっていました。

(本当にごめんよ(>人<;)

 

当時の私は外で遊ぶのも好きでしたが(まだ遊んでくれる友達がいました)、

漫画やアニメ、ゲームが好きでした。

そんな私にちょっと特殊な遊び相手が出来ました。

ちょっとオタクな友達数名です。

漫画やゲームの話で盛り上がり、その内の1人の家によく遊びに行って、オタクの兄オタク&友オタクにゲームで遊んで貰ったりしていました。

とても楽しかったです。

特に好きだったのは「機動戦士ガンダム」でした。

当時は「Zガンダム」か「ガンダムZZ」だったかな?

ガンダムは今でも好きです(*´∇`*)

宇宙世紀のシリーズには目が無いですw

 

 

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どっかの水族館ですね。

あの可愛いかった弟が、、、デカイ!!

 

 

6年生になり、オタクな癖にイキがっていた私の元に来客がありました。

学ランを着たスキンヘッドの中学生です。

「え!?ちょっと待って!?何っ!?」

って、なるよ!!そりゃぁ!!!

ランドセル背負った小学生だもん!!

いきなり漫画から出てきた様な人が校門で待ち伏せしてたらビビるでしょ!!

「お前、生意気らしいな?中学に上がったら大人しくしとけよ?わかったな?」

と言われて、

「、、うん。」

と答えたら、

「返事はハイだろーが!!」

と、ランドセルを蹴られましたww

その人、、、後で聞いたら中学1年生で1つ年上なだけでした。

しかも同じ小学校で、、

こんなスキンヘッドの人居た!?

中学怖っ!!ww

 

家では相変わらず親父の顔色を伺って生活していました。

6歳上の次男も同じだったと思います。

彼は当時、高校生で進学校に通ってました。

親父に対して次男が言った言葉が、今でも耳に残っています。

「誰も産んでくれなんて頼んどらんわ!!」

親父に「お前らなんかいらん」とか言われたんだったと思います。

涙ながらに声を荒げていました。

私も、

「そうだ。産んでくれなんて頼んでない。」

と思うようになりました。

 

 

もう一つ、、

彼のことは書いておきたいんです。

何かにつけて逆らう奴がいました。

綺麗な顔で、医者の息子。Hくん。

女子から人気のある子でした。

彼とはよくケンカしました。

教室でボッコボコにしたこともあります。

中学生になってもケンカしました。

たぶん1番喧嘩した同級生です。

彼はまた後で出てきます。

 

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6年生ごろ。

女の子みたいな前髪ですが、カッコつけて革ジャン着てますw

真ん中のデカイ人は小学4年生ですw

 

 

以前、今回のイジメに関しては少し書かせて貰いました。

あの時よりも記憶は探ってみました。

でも、思い出したくない記憶って、本当に朧げなままですね。

 

 

こうして暴れまくった私は小学校を卒業しました。

 

 

続きはこちら♡

生立ち③ 中学生

生立ち① 幼少期〜少年期

今回から「生立ち」スタートしますね。

生まれてからを簡単に書いてみます(^ ^)

 

私は1978年(昭和53年)

愛知県名古屋市昭和区にて

この世界に生まれ落ちました。

家族は父、母、11歳上の腹違いの兄、6歳上の兄、そして2年後に弟が生まれます。

男ばっかw

 

住んでいたのは、戸建ての住宅が集まってる様な県営か市営の団地?

(何て言うのかな?)

 

あ、私は幼少の記憶があまり無いです。

幼少期のことは母や兄に聞いた話や写真での憶測も混じってますw

 

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母と私です。

可愛い過ぎますね♡

たぶん娘と同じくらいですかね。

 

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なんて可愛いんでしょう♡

まだこの頃は無垢でだったんでしょうね。

 

写真だけ見ると幸せそうな感じでしょうか?

 

この後、小学生になるまで二回引越しています。

1回目はボロッボロの戸建ての借家。

近所の人たちが親切だったような気がします。

向かいの家は「コロ」って名前の犬を小型犬を飼っていて、羨ましかったみたい。

近所には公園があり、その向側に駄菓子屋さんがありました。

きっと貧乏だったんでしょう、私は親の財布から10円玉を盗って駄菓子屋さんに行って、叱られたような記憶があります。

コレが私の最初の悪事かもしれませんw

 

保育園に通っていた頃は、何故か4LDKの高級分譲マンションに住んでいました。

当時は幼かったので疑問にも思いませんでした。後述しますが、まぁ色々あったみたいです。

 

保育園に通っていた頃の記憶は少しありますが、曖昧なので何歳の時の記憶なのかわかりません。

保育園の頃なのか、小学生になってからなのかもわかりません。

しかし、強烈なのが色々と断片的にあるので書いてみます。

 

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保育園の頃はこんな感じ。

運動神経も良く、活発な子だったと思います。

いつも弟と一緒だった気がします。

 

日常的に両親が喧嘩をしていた。

喧嘩と言うか、、

親父の怒鳴り声や物が壊れる音。

母親の悲鳴のような声。(泣き声?)

 

母親が髪の毛を掴まれ廊下を引きずられていく姿や、

母親が自分の首をコードで絞めている姿を目撃。

(「死にたい」とか、「殺して」とか言っていたような気がする。)

 

私と弟を連れて家出する母親。

脅されてか、言いくるめられてか、すぐに家に戻る。たぶんそんなコトが数回あるっぽい。

 

・なぜか母親が居ない日に、親父が女性の家に遊びに行く。私と弟を連れて。

その女性も娘が2人いて、私たちは遊んでいた。

(大人になって意味は気付くよねw)

 

・理由は聞いてないけど、保育園も年長から転園している。

幼馴染の花屋のYちゃんと離れ離れになる。

 

・髪の毛を短く切って貰って、近所のお姉さんに

「モンチッチみたい〜♡」と言われたコトが心の傷になっている?ww

 

・「お手伝いのオバさん」という家政婦が家に居た。

小学校を卒業するまで。お世話になりました。

 

と、まぁこの辺の記憶が前後曖昧ですが幼少期の記憶だと思われます。

 

幼少期まとめ。

(大人になってから気づいたことです。子供の頃は普通だと思っていたw)

 

我が家が普通では無いと知る。ってか異常だと知る。

暴力が日常なデンジャラスで複雑な家庭だった。複雑どころかカオスw

長男が腹違いで、腹違いの姉の存在も知る。

 

 

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小学生かな?

たぶん七五三です。

弟が可愛すぎて萌え~♡ 

 

小学生になって色々と問題が起こり始める。

私には「常識」が無かった。

(常識が無かったことにはある程度成長してから気づいた)

・他人の敷地に勝手に入る。

・他人の家に勝手に上がる。

・他人の物を持って帰る。

・男女問わず殴る。(弱いのに)

・わがまま放題。(家では大人しい)

 

特に問題は「男女問わず殴る」ですね。

何度も母親と謝罪に行った覚えがある。

4年生の時に転校するんですが、これが更に問題になります。(次回予告w)

 

4年生までに衝撃的だったことは、

 

・弟と喧嘩をすると夜だろうが外に閉め出される。(ベランダや玄関の外に)

 

・母親を助けようと兄が父親に挑むが返り討ちにあう。(当時、兄は中学生)

 

・飼っていた猫が車にはねられて死んでいたのを腹違いの長男が発見してくる。

 

犬を飼い始めるが、大きくなると父親に保健所に連れていかれた。

(「ゴロ」って名前の秋田犬でした(T_T)泣)

 

・家に仏壇があってお経を読まされた謎ww

 

・時々、家に「会長さん」って人が来ていた。

顔に大きな傷がある人と。

(ヤクザの会長とボディーガードだったw)

 

とにかく

父親が怖くて苦手だった。

日常的に両親は喧嘩をしていて、その度に弟と部屋に籠っていた。

腹違いの兄(リーゼント)も異様な存在感だった。

両親共にヘビースモーカーで、家の中は煙が充満していた。

(たぶんリーゼント兄も吸っていた)

家にビーバップハイスクールの漫画があった。(後に問題になる)

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↑コレねww

 

 健全に子供が育つ環境では無かったと思いますww

 

 

4年生で転校するまでは、ザッとこんな感じです。

 

子供の心にどんな影響があったでしょうね?

 

たぶんこの頃から妄想の世界を作り始める。

寝る前には物語の主人公(マンガやアニメの主人公のライバルとか)になって冒険してから寝る習慣がつき始める。(心に問題が出始めた)

 

 

 

大人になってから、

「お父さんは子供に興味関心が無かった」と母親に聞かされたコトがある。

「いや、アンタもだろww」

 

子供に関心が無いから常識も教えて貰えなかった。

 

日常的な家庭内暴力が私の常識だった。

 

 

あと、

私はケガをして帰るのが好きでした。

母親に構って貰えて嬉しかったのでしょうね。

 

 次は転校してからを書きますね(^^♪

ではまた次回〜。

 

生立ち② 転校〜小学校卒業 - 愛の探求日記

 

 

 

 

 

「生立ち」を書くにあたって

知ってる人も、知らない人も、

こんにちは(^ ^)

 

これから数回に分けて

「愛と真理の探究者」である私が、

『どんな人生を歩んできたか?』を、、

まぁ興味無いとは思うけど書いていきたいと思いますww

(「生立ち」を書きかけて、「あ、前置きしとこ~♬」って、コレ書いてます笑)

 

それは、

私が

「なぜそんな生き方をしていくのか?」

に繋がっていきます。

 

 

別に共感とか同情して欲しいわけでも何でもないんですw

ただ私の活動に向けた「想い」「決意」があって、

そこに至った経緯や原体験の「記録」です。

 

文章を書くのが苦手な上に、キーボードを触るのも絶望的に苦手なので時間がかかりますw

 

温かく見守って下さい♬

宜しくお願いします♡

 

 

 

改めてブログ書こう

 

本当に世の中の為になる事は何か?

 

勉強と模索を続けております。

やっと「やりたい事」「本当の社会貢献」が繋がってきたので、実現していきたいと思っています。

 

以前は批判的なこと等も書いていました。

「寄添い」が足りない自分の至らなさを感じております。

ごめんなさい。

 

少しでも

「必要な人に何かが届けば良いなぁ」

と、またちょっとずつ綴っていきたいと思います。

(誰も読んでないと思ってるけどw)

 

修行の足りないわたしですが、、

宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

インディゴおK

虫は友達♡

 

私は有機農業を勉強中の見習い農家やっとります。

師匠は素晴らしい方です(^ ^)

そしてオモロイw

 

そんな私がこの世で一番怖いのが『虫』です。

 

嫌いなわけじゃないです。

怖いんです(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 

「はぁ?虫が怖いのに有機農業なんて出来るのか??」

なんて思う方もいらっしゃるでしょうが、、

マジで怖いんです。

 

小さい虫が服に付いただけで

「ぎゃー!!虫ーー!!」

ってなりますw

クワガタやカブトムシもダメですww

 

たぶん子供の頃のトラウマなんだと思います。

子供の時はクワガタやカブトムシを捕りに行ってたと思うんですけどねぇ。。

 

最近では少し虫と仲良くやってます♬

 

今日も畑で虫と戯れてましたw

「うわっ!ビックリした!!」(アオムシ)

「でっかいな〜お前は〜!」(大アオムシ)

「お!また出たな!!」(何かの幼虫)

「ミミズ〜!ポーイッ!!」(今日は5匹位)

テントウムシちゃん♡」(油虫ハンター)

こんな感じで独りでワイワイやってます(^ ^)

(まだ素手では触れません)

 

時々、害虫退治しなきゃならないんですが、、

怖いし、、何よりかわいそうで、、

謝りながら、、やっつけます(´;ω;`)

本当は殺生したくないです、、

 

 

とにかく「虫が怖い」とか言ってらんねぇw

 

そんな私には成すべきことがあるので!!

 

早く虫と友達になれるように頑張りまーす!!

 

 

それではまたね〜