どーも!
超・久しぶりです!!
前回から9ヶ月ほど経ってるのかな、、??
本当に不精な私です。。(忙しいってことでw)
(前回のブログを読み返してみたら、、文章が酷いw頭が悪いのが滲み出てますねww)
前回でめでたく誕生した?
隻眼のおKさんです!!
(はい厨二病)
さてさて、、
生い立ちシリーズもクライマックスが近づいてきました。
あと少しだけお付き合いくださいませ(^ ^)
生い立ちシリーズはこちらからどうぞ♫
ちなみにこちらの内容からは少し軌道修正しています。
着地点が少し変わると思いますので、また書きますね(^^♪
さて、はじめまーす!!
酷いしつまらないと思いますが我慢してね♡
前回は我が城をオープンしたところまで書きましたね。
店名は『Dandelion -ダンデライオン-』
(以下ダンデ)
友人と店名を考えていて「ダンデライオンって何かカッコイイね」からの花言葉を調べたら「思わせぶり!!」ww
響きもカッコイイし、意味は可愛いし、花言葉は面白いw 即採用!!w
女性スタッフは美人揃い!
店長BDは面白い!
お世話になったママの影響力!
あとは「地元」って強みもあってボチボチ繁盛しておりました。
ここまでは大成功でした。
皆さん応援してくれて有り難う♡
この頃から度々ですが酔ってトラブルを起こすようになります。。
記憶を無くす、、
喧嘩する、、
女性にだらしなくなる、、(これは前からw)
「仕事だから仕方ない」
「酒のせいだ」「私に非は無い」
などと正当化をして続けていましたが、心の奥深くでは泣いていたんだと思います。
毎晩のように酔い潰れて「なんでこんなことやってんだろ??」「苦しいよぅ、、」
そもそも、、
一部の酒は好きだけど酒には弱いんです!!
当時の私①
店をオープンして間もなく、とても大切な彼女が出来ていました。
こんな私を見て彼女は辛かったと思います。。
ごめんよ(´;ω;`)
なので店をスタッフに任せて建築現場で働いてみました。
が、危険を感じて止めました。
あの頃はまだ片目に慣れていなくて、遠近感が無く段差で転んだり、視界が狭いので顔の左側をぶつけたり、、「こりゃ危ねえな!」ってなりました。
結局は、店に出て仕事して、酔っ払って潰れて、彼女に嫌な想いをさせて、そして私自身も心身共に辛かったです。
その後は彼女とも上手くいかなくなり、仕事のことを真剣に考えました。(当時の自分なりに)
「居酒屋とかBARならどうか??」
「今みたいに飲まなくていいな?」
ダンデにお客さんで来ていた「自称リフォーム会社の社長H」に気になる賃貸物件の相談をしてたらトントン拍子で話しが進んでしまいました。
(社長H、、コイツがクソ野郎でした)
社長Hの後押しで新店舗がオープンしました。
居酒屋?
BAR?
洋風居酒屋?
まぁ一応BARぽい居酒屋です。
カラオケ個室とダーツが有る洋風居酒屋です。
『暁 -アカツキ-』と名付けました。
店長は中学同級生の弟にやって貰うことに。
ダンデが嫌で嫌で仕方なくて、、完全に見切り発車でした。(社長Hが色々と援助してくれると言っていたのだけど嘘でした)
そしてオープンとリーマンショックが重なる悲劇w
そして彼女と別れる悲劇(´;ω;`)
(⇧私にとって大事件だったのですが、ここでは簡単にしか書きません)
いや~ぁ、、大変でした。。汗
苦しいながらも少しずつお客さんが付いてくれました。
店も広くてマイクも使えるので団体さんの貸切なんかにも使って貰えました。
場所は駅近で、駐車場有り、家賃は高いけど場所は良かったんです。
しかし、、
学生の多い街だったんですが、ガチャガチャした店にしたくなくて「大人の遊べる店」でやってました。
周りは学生向けの安い居酒屋チェーンだらけ。
まぁ大人も安い居酒屋チェーンに行きますわな!
だって安いもん!!w
その上、店舗改装の欠陥が色々と見つかってきて、もう悲惨なことになってました。
余談ですが、
リフォーム会社の蓋を開けてみると、他のクライアントからもクレームだらけなクソ会社でした。
詳しく調べると、社長Hは西の方から逃げて来た人らしく、名前も偽名でした。
そして社長ではなく、学生くらいの若い彼女を社長に据えていました。(Hが社長では何かと問題があったみたい)
この後、Hは夜逃げしましたww
社長である彼女は可愛そうに、、借金まるけ。。w
その後どうなったかは、、わかりません。
怖い怖い(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
結局、店舗の欠陥はリフォーム会社の下請けに居た塗装会社の社長Mさんがいろいろと助けて下さいました。
(この人もかなりのクソでしたw)
そこで当時、流行り始めた「ガールズバー」に目をつけて「ガールズバーもどき」(店名ではありません)を開店することに。
「ガールズバーもどき」を機に「ダンデ」を手放しました。
今度は店舗改装を塗装会社のMさんにお願いして、その対価としてダンデライオンを譲りました。
周りからは猛反対を受けましたが、心機一転したかったのです。
当時の私②
「もどき」の店長には元ダンデのスタッフ(女の子)を立てて、女の子達に任せることにしたんですが、、全然ダメでしたね。。
人を使うのって難しい、、特に女性は、、と当時は思いましたね。。w
塗装会社のMさんのリフォームの仕事も酷いもんでした。不備が見つかっても直してもくれない。
当時の私は「成功しなきゃ!」に囚われていて、必死だったんです。。
そこに漬け込んでくる腐れ外道どもの多いこと多いこと。。
まぁ私には人を見る目が無かったんでしょうし、因果が巡ってきたのでしょうね、、
グスン(艸д+。)
「アカツキ」も「もどき」もアレコレ試行錯誤してやっていましたが、アカツキ店長が結婚を機に辞めることになり、実の弟のように感じていた彼が辞めるのを機に二店とも畳むことにしました。
私、当時33歳くらいかな。。
激動の数年間でした。(3年?4年?)
最後まで酒を飲んで荒れ狂っていました。
この間に何人か女性とお付き合いしました。
酔っ払って初めて女性に手を上げました。(本当にクズだと思うので強調します)
酷い言葉も浴びせました。
酷い扱いもしました。
スタッフにも辛く嫌な想いをさせたと思います。
友人、知人にも迷惑をかけました。
全員に悲しい想いをさせました。
本当にごめんね。。(´;ω;`)
私を利用しようと色々な人が近づいてきました。
現役のヤ◯ザや元ヤ◯ザ、建築会社の半グレ社長、詐欺師、、本当に色んな人と出会ったなぁと思います。
現在はこの誰とも関わりは無いです。
まぁ当時も関わりたくは無かったんですが。
そして、
疲れちゃいました。
いや、たぶん最初から疲れてたんです。
酒を飲んで現実から目を背け、ずっと自分を誤魔化していました。
当時は、と言うより少年時代から、自分の本質とはかけ離れた生き方をしてきたんだと思っています。
強がって見栄を張って、威を振りかざし、誰も信用せず、誰かを利用して生きてきました。
全て自分に返ってきただけなんですけどね。
全ての源は自分です。
でも、この頃はそんな事には気付いていません。
そしてまだ少し迷走を続けます。
店を畳んで一から出直すことにした私は、当時仲良くしていた建設会社の社長のところから仕事を回してもらって働き始めます。
それはすぐに辞めてしまって(従業員は派遣していましたが)、また型枠大工の仕事を始めました。
当時の私③
アカツキを閉店する少し前に、以前にもブログで書いた「心理学ヒューマンセミナー?(なんて表現して良いかわからないw)」「体験型グループセラピー?」を体験していました。
(まぁこの頃は全然真面目に学ばなかったので、学んだことは雀の涙ほどです。)
そのセミナーの懇親会が時々あったので参加した時のことです。
ある女性と出会い、、
恋をしましたww
一目惚れだったかもしれません。
当時34歳か35歳のオッサンが恋とかちょっとキモイですが、あれは恋だったと思いますww
知人に頼んで紹介して貰い、連絡先を交換しました。
彼女は2児のシングルマザーでした。
フルタイムで働いていて、岐阜住みで遠い(当時私は名古屋の東端)こともあり、なかなかタイミングも合わなかったのですが、何度か食事(飲み?)をしました。
程なく二人は付き合うことに、、
後にこの女性が私の人生を大きく変える起点になります。
私の第二の人生を歩み始める、己の愚かさに気づかせてくれた恩人の1人なのかもしれません。
続きは次回!!
ここからは 余談コ~ナ~w
『意識的に生きる』
私はいい大人になるまで(大人になっても)無意識の奴隷でした。
人は産まれた環境、体験を元に育ちます。
環境や体験によって得た価値観や観念、信念で人格を形成していきます。
そしてその価値観や観念、信念は、ベースを保ったまま少しずつ形を変え、成長と共に更に強固に根を張ります。
ビリーフ(観念、信念)の根がガチガチに蔓延った潜在意識は、私の人格を極端に歪めていきました。
自分の問題から目を背け、潜在意識にどっぷり浸かって生きてきたのです。
そんな私は自分の本質を否定して生きてきました。
無意識に生きていると自分の問題に気づきません。
まず気づきたくないんです。
そして一瞬気づいてもすぐに目を背けます。
無意識に生きている人の多く(ほとんど人は無意識に生きていますが)は、酒やタバコ、ドラッグなど(刺激物)で意識や感情を麻痺させます。
ドラッグやアルコールに依存する人が自分の問題から目を背け続けるのが良い例ですね。
私もそうでした。
逆に「意識的に生きる」ってことは「自分を大切にして生きる」ってことだと思います。
「自分を大切にする」ってのは、心の声を聞いてあげることです。
何を感じているのか?
本当は何がしたいのか?
つらくないか?
強がってないか?
見栄をはってるんじゃないか??
などなど、、
自分に問いかけ、返ってくる心の声に耳を傾け、自分を本質に寄せて生きることが「自分を大切にする」ことであり「意識的に生きる」ってことだと思います。
(本当はもっと詳しく細かく書きたいのだけど、今回は余談なのでまた別の機会にw)
さぁ「意識的に生きる」を始めよう!!
『生きづらさ』
ある女性に「Kくん『境界性人格障害』なんじゃない?」と言われたことがあります。
調べてみると「なるほど」と、この時は納得しました。
「人格障害」は精神医療において「病気」とカテゴライズされがちですが、病気では無いです。(くたばれ精神医療!)
幼少期などに経験したことで作られた「歪んだ性格」です。
性格なんです。
ある意味で個性です。
とは言え「人格障害」は歪んでいる故に人間関係がなかなか上手くいきません。
歪んでいるが故にトラブルもよく起こします。
なので「生きづらさ」を感じている人も沢山いると思います。
その「生きづらさ」は私にもよくわかります。
もし「人格障害」について興味のある方は調べてみてください。
「あれ?私も?」とか「アイツもしかして?」ってなるかも?
けっこう面白いですよ。
人格障害についてはこれ以上詳しくは書きませんが、改善方法はあります。
またどっかのタイミングで書くかも知れませんが、聞きたい方はSNSでも何でも良いので連絡ください。
まぁもし本気で改善したいのであればですがww
精神医療に騙されないで下さいね!!
(発達障害なども嘘だらけ!)
精神医療をぶっ壊〜す!!
今書くことじゃないですねww笑
続きはこちら
最後まで読んでくれて有難う〜♡
またね〜( ^∀^)